129号<平成29年8月23日配信>
【巻頭文】
太陽光線が燦々と降り注ぐ8月。この時期にマスメディアを賑わせるのは高校野球と戦争体験者の話。甲子園では、連日熱戦が繰り広げられている一方、戦争体験については、戦後72年を経た今、体験そのものとは別に「どう語り継ぐか。」という問題をとりあげたニュースが増えてきたように思います。
かくいう私も「(若手?)戦争語り部(戦争体験者ではない)」の一人として、鳥取の戦争遺構等の案内をしたり、東南アジアや太平洋各地に遺る戦跡を訪れたりしながら見聞を広めています。
鳥取市歴史博物館(やまびこ館)では、この夏から来年度にかけて、『占領期の鳥取を学ぶ会』という名の講座が開かれています。
戦後日本では、ポツダム宣言執行のために、GHQ(連合国最高司令官司令部)が占領政策を進めており、昭和27年4月のサンフランシスコ講和条約まで、日本を実質支配し、各地に支局が設置されていました。鳥取県には、イギリス連邦占領軍が派遣され、この時期に起こったできごとや社会の状況を、東京の司令部に月に2回報告していたようです。そのときの英文資料がこの講座の教材となっています。
この報告書には、行政行動、住宅、闇市場、公共福祉、製造業、漁業、林業、労働などの民事行政の項目や、政治活動、伝染病、占領軍と日本国民の関係性、不法入国と密輸、公衆衛生、教育などの項目が、各分野別に記載されています。
以前、当時の様子をよく知る年配の方から、鳥取での占領政策は比較的穏健に行われていたとの話を聞いたことがあります。「立派な髭をピンと伸ばしたインド兵(当時、インドは英国の植民地であった。)に、チューインガムをもらった。」「占領軍が使っていた宿舎が開放され、見学に行った。」などです。
しかし、この資料を読むと、中には占領軍兵士による「強姦事件が発生」や「交通事故により子どもが2人死亡」、「飲食店で飲酒を断られたため器物破損」などの記述も見られます。占領下には、相応の抑圧や人権侵害が発生していたことが伺えます。
今後、講座が進んでいく中で、報告書に記されているさまざまなことがらが明らかにされていきます。
鳥取や日本のことに限りませんが、戦時下の状況ばかりでなく、「占領下の人々や人権」についても、関心を高めつつ、取り組んでいきたいと思います。
===================================
【ふらっと便り】
ふらっと交流スペース展示では、『手話言語条例』パネル展を開催します。
鳥取県では、2013年10月に『手話言語条例』を全国に先駆けて施行しました。手話は、ろう者とろう者以外の者がつながることのできる、大切な言語です。
『手話言語条例』がなぜ必要なのかを考えてみませんか?
●『手話言語条例パネル展』
展示期間:平成29年9月2日(土)~9月30日(土)
===================================
【つれづれ日記】 ハンドルネーム:サムゲタン
母とは、どうも好みが違っているなと感じることが多々ある。特に感じるのは「食」の好みで、1つのものを一緒に美味しいと共感し合ったことは数少ない。
だからといって、いがみ合うことは殆どなく、お菓子を分ける時も「好みがかぶらなくて好都合」と、お互い仲良く好きなのを選び取ったりしている。
違いを理解し、共存できていると満足しているのだけれど、夕飯のおかず配膳の時に「これが美味しくなさそう」と私の方に分配してくる母の行為には、多少の引っ掛かりを感じる今日この頃である。
まぁ、それが私の好みに合うことは、お見込みのとおりなのだけれど…