159号<令和2年2月26日配信>

【巻頭文】
 『第34回人権啓発研究集会』に参加するため、昨日、沖縄にやってきた。気温は20度を軽く超え、初夏を思わせる陽気に半袖で歩く人も少なくない。飲食店や土産物屋が建ち並ぶ国際通りは、マスク姿の観光客で賑わっている。立ち寄った沖縄そば屋の店主は言う。「新型コロナの影響で中国人が一気に減ったよ。それでもこの時期はプロ野球やサッカーのキャンプがあるからね。追っかけで本土からファンがどっと流れ込んでくる。何とかなってるさー。」と琉球訛りでまくしたてた。
 研修前日の時間を使って向かった先は戦争遺構の一つでもあるチビチリガマ(チビは尻、チリは切る、ガマは洞窟の意)。チビチリガマとは太平洋戦争末期の沖縄戦において米軍上陸の際、村人たちが逃げ込んだ洞窟の一つのことである。那覇から北東に1時間ほどのところにある読谷(よみたん)村には、当時避難所となったガマがいくつか点在している。
 住宅街を抜け、海岸に向かうなだらかな斜面にサトウキビ畑が広がる。その道路脇の一角に繁茂するガジュマルの樹々。地界へと吸い込まれるように設えた下りの階段を一段一段ゆっくりと降りていく。そこには木漏れ日に照らされ慰霊のための墓碑がひっそりと佇み、今にも人を飲みこんでしまいそうな岩窟が大きな口を開けていた。このガマは「米軍に投降するくらいなら・・・。」と83名の人々が集団自決(強制集団死)を行ったところである。後に明らかになるのは、その多くが子どもたちだったこと。当時の状況に思いを馳せながらそっと手を合わせる。
 次いで訪れたのは米軍上陸の地。真っ青な東シナ海が見渡せる小高い丘の上に小さな碑が建っている。1945年4月1日、この海岸に軍用艦など200隻を超す船が押し寄せた。沖縄戦は、「鉄の暴風」とも言われ、以降3ヶ月にわたり住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が展開される。島民の約4分の1が非業の死を遂げた。沖縄戦は、来たる本土決戦の準備を整えるまでの捨て石であったという。
 今、目の前に真っ青なサンゴ礁の海が広がっている。這うように打ち寄せる波が、穏やかな春の陽射しにきらきらと輝いている。寄せては引く残波の音が耳に心地良い。南風に吹かれて砂浜でまどろんでいると、遠くの空に一粒の黒いものが飛んでくるのが見える。それが、瞬く間に上空まで飛んで来たかと思うと、耳をつんざく轟音を残したまま、あっという間に飛び去っていった。沖縄は、あの日から今年で75年目を迎える。
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【ふらっと便り】
◆3月“ふらっと”交流スペース展示のご案内◆
①『フツーの人の「自覚無き差別」~「差別があり続ける社会」を支えているのは?~』
 鳥取県人権文化センター 新作人権啓発パネル
②『依存症ってなあに?―わかっとるけどやめられんだが~それが依存症―』
 鳥取アディクション連絡会
◆新入荷本情報◆
『あなたの仕事、感情労働ですよね?』
 (著:関谷大輝/出版社:花伝社)
『暴力って、なに?』
 (著:オスカーブルニフィエ/出版社:朝日出版社)
『統一応募用紙が導く 人権文化の創造』福岡県高同教ブックレット1号
 (著:小西清則/出版社:福岡県高等学校人権・同和教育研究協議会)
◆新入荷DVD情報◆
『お互いを活かし合うための人権シリーズ②ハラスメント・しない、させないための双方向コミュニケーション』
 (字幕・副音声あり ドラマ 26分 2019年制作)
『映像で学ぶ 部落差別解消推進法』
 (字幕あり 解説 45分 2019年制作
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【つれづれ日記】 ハンドルネーム : 今日の一針
 久しぶりに青空が広がるある冬の日、子連れのお母さんが信号機のない横断歩道を渡ろうとしていた。よく見ると、だっこ紐で赤ん坊をだっこし、右手で男児が急に離れないようその手をしっかりと握り、左手で手提げカバンを持っていた。
 車の通過量はそう多くない。ところが、横断歩道を渡ろうとすると、タイミングよく?車が左右のどちらかからやって来る。幼い子ども連れでは素早い行動が難しいと思われるのだろう。何度も次のチャンスを待たれた。
 やっと左右とも車が来ない時間が生まれ、お母さんは男児を引っ張るようにして横断歩道を渡っていった。その間通過した車は、約15台。母子に気づかないはずはないのだが、横断歩道手前で停まる車は1台もなかった。

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