166号<令和2 年9月23日配信>
【巻頭文】
ある日、スーパーで買い物を終え出口に向かっていると、前方から大声が聞こえてきた。近づくと、「ここから入って何が悪いんだ!」「この店はお客様に入るなと言うのか!」と怒鳴り散らす男性客がいた。
その店は新型コロナウイルス感染拡大防止策の一つとして、出入り口の2つの扉を、一方は入口もう一方は出口とし、客が交錯しないようにしている。しかし表示があまり目立たず、かつ扉も開いたままなので、“いつもの調子”で近い方から出入りしてしまう客が少なくない。その客も出口から入ろうとしたようで、偶々近くにいた店員に入口から入るよう言われ、声を荒げていたのだ。結局その客は「二度と来るか!」と吐き捨て駐車場に向かった。
2020年7月8日の日本海新聞に「コロナ危機の現場から スーパー従事者」という記事が掲載されている。『新型コロナウイルスの影響で地方への物流が滞る中、鳥取県内のスーパーは試行錯誤しながら商品を確保し、“食のライフライン”として市民の暮らしを支えてきた。外出自粛期間も利用者は多く、不特定多数の人と接触するレジ担当者らは不安を抱えながら業務に当たってきた。』『全国で感染が拡大した4月以降、レジ担当者は暇さえあれば備え付けの消毒液で手指やお金を置くトレーを消毒。レジには飛沫対策でビニールカーテンを設置したが、マスクもあって声が通りにくく、客との意思疎通は難しくなった。レジを担当する40代女性は「今までと違う接客で神経を使った」と振り返る。レジ待ちの順番を巡る客同士のトラブルの仲裁に入ったり、デマが流されたりすることもあった。』
あの客はなぜあそこまで激昂したのだろう?カッとしやすい性格?コロナ禍で様々な行動が制限されることへのストレス?自分は「お客様」であるという優越意識?店員が自分より若い女性だったから?
客にとっては「いつもの出入口から入ろうとした」、たったそれだけのことだったかもしれない。
店員にとっては「入口から入るよう声をかけた」、たったそれだけのことだったかもしれない。
「立場」と「前提」が違えば、“たったそれだけのこと”が誤解を生んだり、衝突の種になったり、ハラスメントになったりする。「たったそれだけのことで!」と、一笑に付されることもある。
消毒を待つカートの列と積み上げられた買い物かご。あの暑い日の昼間、開け放った扉の近くで彼女はカートやかごを一つ一つ消毒していた。
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【ふらっと便り】
◆10月 ふらっと 交流スペース展示のご案内◆
『鳥取県立琴の浦高等特別支援学校生徒作品展』
展示期間:10/1(木)~10/30(金) 最終日の展示は午後3時まで
◆新入荷DVD◆
『カランコエの花』
上映時間 本編39分+特典映像83分 2016年制作 映画
『シェアしてみたらわかったこと』
上映時間46分 2019年制作 ドラマ・解説・インタビュー
◆新入荷図書◆
『お父さんはどうしてヒトラーに投票したの?』
著:ディディエ・デニンクス 翻訳:湯川 順夫
翻訳:戦争ホーキの会/出版社:解放出版社
『マンガでわかるSDGs』
監修:SDGsビジネス総合研究所 経営戦略会議
出版社:株式会社PHPエディターズ・グループ
『コウノドリ 31巻』
著:鈴ノ木 ユウ/出版社:講談社
『37.5℃の涙 19巻』
著:椎名 チカ/出版社:小学館
『健康で文化的な最低限度の生活 9巻』
著:柏木 ハルコ/出版社:小学館
『ゴールデンカムイ 22巻』
著:野田 サトル/出版社:集英社
『ペリリュー ―楽園のゲルニカー 9巻』
著:武田一義企画・原案:平塚 柾緒(太平洋戦争研究会)/出版社:白泉社
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【つれづれ日記】 ハンドルネーム ひまわり
命を脅かす疫病は、おおむね100年に一度流行するという。 新年早々から、新型コロナウイルスに苦しめられ、いつになったら収束するのかと気が遠くなるこの頃。
その昔、旱魃や地震等の天災が続いたり、天然痘が大流行したりしたことで、国の安定や疫病退治の祈願のため聖武天皇が奈良の東大寺に巨大な大仏を建立したとの新聞記事を目にした。東大寺には数回訪れたことがあるが、凛として座しておられる大仏様は、それは見事であり世の安寧を願う聖武天皇の強い願いが伺える。科学技術の発達した今の世でも、これといった治療薬のない今、神仏にでもすがりたい心境にもなる。
そんな中にあって、私の心を重くしている事がある。それは、感染して悩む人、重症化して苦しむ人、無念にも亡くなられた人とその家族、親族等のこと。そしてまた、日々治療等に当たられ激務を強いられている医療従事者やその家族、親族等への誹謗・中傷があるということ。もし自分が「それらの立場であったら・・・」、と考え、行動することにしている。
人はみな、困ったときには共に支えあい、思いやりの心をもって助け合うことが大切だと思う。コロナ禍を通してそのことの意味に気づかされている。