本文へ移動
会員登録

【調査研究:子どもの人権】子どもの意見表明権とその実践的課題について

1.「保護の対象者」と「権利の主体者」

 日本では、子どもを「子供」と表記してきました。「供」という文字は「ともなう」、「つれ歩く」等の意味であり、長年にわたって「『子』は、『親』(大人)についていくもの」、「『親』(大人)の意思に従うもの」、「ともなわれるもの」、「付属物」等として認識されてきたと考えられます。

 では、人権尊重の意識が高まっている現代において、子どもは、社会の中でどのような存在として扱われるべきでしょう? ここには同時に2つの捉え方が存在します。1つは、社会経験が少なく、生きていくための知恵や自立する力等が充分に育っていない子どもたちは、社会制度上、「保護の対象者」である、との捉え方です。この場合、自分の責任と判断によって行動する大人とは一線を画した存在として、相応の配慮やサポートが求められるのは当然です。

 例えば、未成熟な若者が犯罪行為をした場合、少年法が適用され更正の機会が手厚く保障されたり、スマートフォンの使用における「セイフティガード」によって子どもたちが有害サイトへアクセスできないような措置がとられたりするなどです。こういった子どもに対する扱いは社会全体で共有され、未成熟である子どもの人権を守るための必要な社会政策として認識され実施されています。

 その一方で、たとえ、子どもであっても意思と人格を備えた「権利の主体者」である、と捉えることもできます。この場合、子どもは自らの意思で自分自身の権利を行使できるものと考えます。「自分の考えを述べ、意見を言う」等の行為は人が生きていく上で欠かすことのできない基本行為であり、人間の尊厳にも関わる大切な人権の1つです。

 このように、子どもは「保護の対象者」であると同時に「権利の主体者」でもあるのです。

 意思と人格を備えた「権利の主体者」として子どもが行う意見の表明等は、保護者や先生、また、子どもと関わる周囲の大人たちが、しっかりと受け止める必要があるでしょう。特に子ども自身を取り巻く環境づくりや子どもの将来に関わる選択等を行う際は、当事者である子どもの意思をしっかりと確認することが、子どもの人権を保障する上で不可欠であり、もっとも大切なことの1つと言えます。

 

2.「子ども差別?」に対する社会の認識

 私たちは、社会に存在する様々な差別事象を「部落差別(被差別部落出身者への差別)」、「女性差別」、「障がい者差別」、「高齢者差別」、「外国人差別」等と呼ぶことがあります。しかし「子ども差別」という言葉を聞くことはありません。

 差別とは、本来平等に扱われるべき事柄について、合理的な理由なく異なった不利益な取り扱いをすることです。1で述べたように、子どもも「権利の主体者」としての面を持っており、「意見表明権」を行使することで自らの意思を伝えられるとともに、それを聞き取った周囲の大人たちによって、その意見は丁重に扱われるべきです。

 ところが、日本社会において、大人は子どもを、「不完全で未成熟な者」としてみることもしばしばで、「子どもは何も分かっていないから適切な判断ができない。」、「何事も大人の言うことを聞くものだ。」、「黙って大人の導きに従った方がいい。」、「子どもに意見を尋ねると何を言い出すかわからない。」等と考え、当事者である子どもにその意思を尋ねないまま子ども自身に関わる重要なことまで決めてしまったり、あるいは、子どもに意思を尋ねたとしても軽く扱ってしまったりすることは日常茶飯事です。つまり、大人社会の一方的な決めつけや子ども軽視の態度が、私たちの社会に漫然と浸透していると考えていいのではないでしょうか。子ども自身に関わることを決める際、このように「子どもの意思確認を怠ること」や「軽んじること」、また「無視すること」等は、「子ども(に対する)差別である」という認識には至らず、「子ども差別」という言葉自体を社会全体が受け入れてこなかったと思われます。

 しかしながら、近年、「校則など学校内の決まり事の決定」や「家庭内の虐待等における保護手続き」に関して、当事者である子どもへ意思を確認することの重要性が話題にのぼることが多くなりました。

 

3.「子どもの権利条約」と「参加する権利」

 1989年、国連において「子どもの権利条約」が採択されました。日本は1994年にこの条約を批准しており、この条約の理念に沿うよう国内法等を整えていく必要があります。

 「子どもの権利条約」には様々な権利が示されていますが、大きく4つに分類されています。「生きる権利」、「育つ権利」、「守られる権利」、そして「参加する権利」です。「参加する権利」とは、子どもが自由に意見を表明したり、自分たちで団体を作ったりすることができる権利です。これら4つの権利は、社会的弱者である子どもが、安心して健やかな生活を送るために必要な諸々の権利を簡潔に示したものです。

 子どもは生きていく上で様々な人権侵害や生き辛さに直面することがあります。具体的には、親等から受ける虐待、友だち関係によるいじめ、家庭の経済的困窮、家族の介護等による加重な負担(ヤングケアラー)等の問題です。世界を対象に考えると、戦争や極度の貧困、児童労働、児童売買等の人権侵害も大きな問題です。当然ながら、これらの問題のほぼすべてが、子どもの力だけではどうすることもできません。国や行政、また地域や学校が充分な支援やサポート、保護を行うことによって、子どもの「生きる権利」、「育つ権利」、「守られる権利」等を保障していかなくてはなりません。

 しかしながら、子ども自身もまた、自分の置かれた困難な状況に対して子どもなりの思いや意見も持っているはずです。子ども自身ではどうすることもできず現状を受け入れつつも、健全な成長や安定した生活ができるよう、自分は「こうしたい」「ああなりたい」、大人や親に対しては「こうしてほしい」「ああしてほしい」という希望や願いがあるのではないでしょうか。

 「子どもの権利条約」の第十二条には、以下のように「意見表明権」について規定されています。

第一項 締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及すすべての事項につい
    て自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童
    の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。

第二項 このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国
    内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取され
    る機会を与えられる。

 このように「子どもの権利条約」では、「子どもを取り巻く環境やルール」や「自分の将来のための選択」等、自己に影響を及ぼすすべての事項ついて、子どもが、自分の思いを伝え、意見を表明する権利(参加する権利)が保障されているのです。

 

4.子どもたちのことを決めるのに、子どもたちを抜きにしていいのか?

  2006年、第61回国連総会において「障害者権利条約」が採択されました。この時、1つの言葉が合い言葉のように使われました。「Nothing about us without us」です。「私たちのことを私たち抜きに決めないで」という意味です。

 当事者(マイノリティ)不在の中、マジョリティ(多数派)のみでマイノリティ(少数派)のことについて勝手にルールを決めてしまうことや、「良かれ」と思い勝手に道筋を定めてしまうことは、当事者排除の重大な人権侵害を含んでおり、あってはならないこととして世界全体で共有されていったのです。

 「子どもの権利条約」の「参加する権利」もこれと同様の意味を持ち、子どもたちの最善の利益に向かって、当事者である子ども自身が自らの意見を表明することが保障されているのです。

 

5.こども基本法の制定
    ※「こども基本法」では、「こども」と表記されています。

 「子どもの権利条約」の批准から28年の時を経た今年6月、日本では、第208回通常国会において「こども基本法」が成立し、子どもの権利に対する国の基本姿勢が打ち出されました。 

 弱い立場にある子どもを守る法律としては、既に「児童福祉法」、「児童虐待の防止等に関する法律」、「子ども貧困対策の推進に関する法律」等が制定されており、親等からの虐待や経済的困窮等、個々の問題についての具体的な理念や施策は示されています。しかし、子どもの権利全般を包括的に保障する法律はこれまでなく、今回成立した「こども基本法」が初めてです。

 こども基本法は、その目的(第一条)に、

「・・・次代の社会を担う全てのこどもが、生涯にわたる人格形成の基礎を築き、自立した個人としてひとしく健やかに成長することができ、心身の状況、置かれている環境等にかかわらず、その権利の擁護が図られ、将来にわたって幸福な生活を送ることができる社会の実現を目指して・・・」

と謳っています。
また、基本理念(第三条)には、次のような具体的項目が立てられています。

第一号 全てのこどもについて、個人として尊重され、その基本的人権が保障されるとともに、差別的
    取扱いを受けることがないようにすること。

第二号 全てのこどもについて、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され保護され
    ること、その健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉に係る権利が
    等しく保障されるとともに、教育基本法の精神にのっとり教育を受ける機会が等しく与えられ
    ること。

第三号 全てのこどもについて、その年齢及び発達の程度に応じて、自己に直接関係する全ての事項に
    関して意見を表明する機会及び多様な社会的活動に参画する機会が確保されること。

第四号 全てのこどもについて、その年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の
    利益が優先して考慮されること。
                        (※なお、第三条の規定は、全部で第六号まで)

 

 第一号については、基本的人権が保障され、差別的取扱いを受けないこと、第二号については、子どもが「保護の対象者」として守られること、第三号・第四号については、「意見表明権」の保障とそれらの意見が年齢や発達の程度に応じて尊重されることが記されています。

 「意見表明権」は、行政・司法等との関わりの中では、具体的に次のような場面で行使することが想定されています。「学校での子どもの日常的な活動における運営(校則規定等)」、「児童養護施設での子ども自身の処遇や子どもの将来に大きな影響を及ぼす事柄の決定」、「子どもパークや文化センター等子どもが利用する施設についての取り決め」、「権利侵害からの救済、回復における事項」等です。 

 また、これらばかりではなく、家庭内や地域社会等の日常生活においても、さらには、子ども自身に直接関係する事柄でなくてもその年齢及び発達の程度に応じて、意見が尊重され、最善の利益を優先して考慮されるよう求められています。

 

6.意見表明権を行使するにあたっての課題 

 意見表明権が法整備されたことは、多くの関係者、また、子ども自身にとっても念願であり、子どもの人権を考える上で、また、人権尊重社会を築く上で大きな前進です。

 しかし、これらの基本理念を現実社会の中で実現させていくためには、いくつかの課題を乗り越えていかなけなければならないと感じます。

 上記事例において、子どもが意見を述べようとする場面を具体的に想像してみてください。自分の思いを率直に伝えることは、たやすいことではありません。仮に、相手に納得してもらえるような意見を表明するとなるとなおさらです。これは、大人であっても同様です。

 子どもの意見表明権の行使について、実効性を高めるためには少なくとも次のような課題を理解し、取り組んでいくべきだと考えます。
 (1) 子どもの意見や思いを受けとめるための環境整備
 (2) 子どもの発達の程度を考慮
 (3) 子ども自身が権利の使い方を実践的に学ぶ
 (4) 大人(父母その他の保護者)への十分なサポート

 

(1) 子どもの意見や思いを受けとめるための環境整備

 まず、1つめの課題は、子どもが意見表明しやすいよう、その場、また、その後の環境を整えることです。例えば、「沈黙や特定の意見を強いる顕在的、潜在的な圧力がかかっていないこと」、「判断するために必要な情報が十分に与えられていること」、「必要であれば他者からアドバイスや適当な修正等を加えてもらえること」、「意見を言っても罰や不利益を被らないこと」、「発した意見が的外れであった(間違いだった)としても、それについて全面的な責任を追わなくていいこと」等です。

 これらの環境が確保されないまま、「あなたの意見を言ってください、さあどうぞ!」等と投げかけられて、スラスラと自分の意見を述べられる人がどれだけいるでしょうか。大人であっても相当のプレッシャーを強いられるはずです。その場の環境や子どもを取り巻く背景、考えるために必要な情報の提供、適切なアドバイスや寛大な対応等、十分配慮がなされているかの検証を行った上で子どもに意見を求める必要があるでしょう。これらの環境が整っていないまま、子どもに「意見を尋ねてみたけれど何も出て来なかった。」、「黙っていた。」、「とんでもないことを言い出したので聞くのをやめた。」等と結論づけてしまったのでは、せっかくの「意見表明権」も自在に活用できず、“絵に描いた餅”同然です。

 

(2) 子どもの発達の程度を考慮

 2つめの課題は、第三条(基本理念)第四号にあるように、子どもの意見表明権を保障するために子どもの発達の程度を十分に考慮することです。一概に子どもといっても幼児から高校生くらいまで、語彙の多寡や表現力、社会経験の程度や判断能力は随分と異なります。

 特に、自分の「意見表明権」を行使するとは具体的にどういうことか、どういう手順を踏まえるのか、行使すると何がどう変わるのか等を具体的に捉えることは、社会経験が乏しく、思考もまとまっていない段階にいる子どもたちにとっては、相当な困難を伴います。何かに向けて意見を表明すれば、それですべて終わりというわけではありません。その後、反対意見を返されたり、別の提案をされたり、さらに一歩踏み込んだ具体的な考えをその場で求められたり、実現するための条件を提示されたりすることもしばしばです。その際、自分の考えをうまくまとめられずその思いを言語化できないこともあるでしょう。

 大人は、子どもに単純に「結論としての意見」を尋ねるのではなく、その意見の背後にある子どもの気持ちや悩んでいる部分を丁寧に聴いたり、子どもが考えやすく分かりやすい事例や選択肢を示したりなど、子どもに寄り添う形でその声に耳を傾ける必要があるでしょう。年齢によっては、言葉以外で本人が表現しやすい方法として、絵を描いてもらうこと等も1つの方法です。

 幼い頃から子どもの感情と態度に共感を示したり、子どもが思考を深められるような問いかけを繰り返したりすることで、子ども自身が自分の考えを述べる力が養われていくのではないでしょうか。

 

(3) 子ども自身が権利の使い方を実践的に学ぶ

 3つめの課題は、子ども自身の持っている権利について、子ども自身が具体的、実践的に学ぶことです。学校や家庭等では、いじめや差別をしてはいけないことを学んだり、障がいのある人や外国人とふれあったりすることを通して、人権意識を高めるとともに他者に対する思いやりや優しさを育んでいくことが多いものです。

  しかし、当然のことですが「人権」とは、辛い目にあった人、障がいのある人や外国人だけに備わっているものではありません。学んでいる子どもたち全員にも備わっていることを知る必要があります。そして、その人権を、日々の生活の中で、実践を伴う形で活用できるようにしなければなりません。

 具体的には、「友だちに遊びに強引に誘われた時、断る(権利がある)」、「自分宛ての手紙を親が勝手に読もうしている時、これを拒否する(権利がある)」、「自分が学びたい本を図書館に置いて欲しいと要望を出す(権利がある)」等です。これらの「不条理なことを強制されない権利」、「プライバシーを守る権利」、「教育を受ける(学ぶ)権利」、そして自分の「意見を表明する権利」等、自分自身にも様々な人権が備わっていると意識できるような学びが必要ではないでしょうか。

 自分を取り巻く環境や未来への選択において、「自分の意見を言っていいんだ」という自覚を持ち、日常生活の中でこれを身に付けていかなければ、これらの権利を使いこなすことはできません。いざという時、ここぞという時にこれらの力が発揮されて初めて、意見表明権をはじめ、様々な人権が現実の世界の中で生きたものとして活用されるようになるのではないでしょうか。

 

(4) 大人(父母その他の保護者)への十分なサポート

 4つめは、大人(保護者)の負担軽減のための対策です。基本理念第三条第五号には、

第五号 こどもの養育については、家庭を基本として行われ、父母その他の保護者が第一義的責任を有
    するとの認識の下、これらの者に対してこどもの養育に関し十分な支援を行うとともに、家庭
    での養育が困難なこどもにはできる限り家庭と同様の養育環境を確保することにより、こども
    が心身ともに健やかに育成されるようにすること。

とあります。
 子どもの意見表明権の実効性を高めるためには、これを受ける大人(保護者)側の意識も高めていかなければなりません。

 上記、「こども基本法第三条第五号」には、「こどもの養育については、家庭を基本として行われ、父母その他の保護者が第一義的責任を有する」とあります。養育については、基本的に父母その他の保護者にその責任がある中で、ストレスやプレッシャーを感じていたり、子育てをするにあたって孤立していたり等、相当の困難を抱え、疲弊している父母その他の保護者も少なくありません。また、子どもの意見の表明に対してどのように対処していいのか、戸惑いを感じる人も多いでしょう。これでは、「子どもの人権」や「意見表明権」を冷静に受け止め、私たちの社会に根付かせていくことはできません。

 これら父母その他の保護者の負担を軽減していていくためには、こども基本法第三条第五号の上記規定にあるように、十分な支援が行われる必要があります。

 行政からの支援ばかりでなく、周囲の大人たち、近隣住民、子育てサークル、保護者会、学校の先生、保護者の働く企業等、大人社会全体で「子どもの人権」や「意見表明権」について共有し、互いにサポートし合える体制作りが求められるのではないでしょうか。

 

7.おわりに

 法律が制定されたとはいえ、人々の意識が即座に変わることはありません。今まで、あまり意識されてこなかった「子どもの意見表明権」についても、現実には様々な困難にぶつかり各方面で不協和音を生じさせることは避けられないでしょう。 

 それでも、社会全体で知恵を出し合い、工夫を凝らしながら、ゆっくりと車輪を回し続け前進していかなければなりません。その先にあるものは、文字通り、誰一人取り残さない人権尊重社会の実現です。

会員登録