じんけん放話20:子どもの意見の尊重
10年ほど前。たまたま読んだ本の、次のような趣旨の指摘が印象に残っている。
「初対面の人に、年齢や私生活について尋ねるのは失礼だというのが大人社会のマナーとされる一方で、初対面の子どもには、挨拶がてら『歳はいくつ?』『普段、誰と何して遊んでるの?』と尋ねている。」
大人は、その子どもと打ち解けたいと思い親しげに尋ねるだろう。言い渋る子どもには、「恥ずかしいのかな」と思いつつ、再び尋ねる。傍にいる子どもの家族は、「ほら、何歳だっけ?」と促すことも。しかし尋ねた内容は、子どもにとって、今この場では言いたくない、知られたくないことかもしれない。これが職場なら、年齢による優位性を背景に、何度もしつこく個人の私的領域に干渉しようとする「パワハラ」行為と断じられるかもしれない。
「子どもにやたらと年齢を尋ねてはいけない」ことが言いたいわけではない。子ども一人ひとりの感じ方や考え方、その事情を、大人のそれと比べどれほど考えていたか、どれほどその思いを聴こうとしていたかと省みる。
すべての子どもに保障されるべき権利を定めた「児童の権利に関する条約」(1989年11月 国連総会採択)の中には、自分のことなど、人に知られたくないときはそれを守られる権利(第16条)や、自分に関係のあることについて、自由に自分の意見を表し、その発達に応じて十分に考慮される権利(第12条)が定められている。
特に、この条約の原則の1つに挙げられる「子どもの意見の尊重」(第12条)。日本では、「子ども基本法」(2023年4月施行)という法律の基本理念の中にも明記され、各論部分では、国や自治体が子ども施策を策定・実施・評価する際、子どもなど当事者の意見を反映するための措置を行うことも求めている(同法第11条)。
意見表明に対する権利は、児童福祉の分野では特に切実な問題である。声を上げづらい状況にある子どもが多く、その声が重視されないと深刻な事態を引き起こしかねないからだ。そのため、2022年に制定された改正児童福祉法の第2条に基づき、社会的養護の環境下にいる子どもの声を、「意見表明相談員」という立場の者が丁寧に聴きとり、その声を行政などに伝える「意見表明等支援事業」が、現在、都道府県単位で進められている。加えて、児童相談所が子どもの一時保護や施設等への入所措置を行う又は解除する際は、原則、子どもの意見を聞くことが義務づけられている。
なお、こども家庭庁では、児童養護施設で暮らす中高生から、「こんな人だったら話してみたい・話したくない」という意見表明等支援員の態度や子どもと向き合う姿勢について意見を聞き取っているが、その中には、共通した意見もある一方、意見が分かれた内容もある(註1)。例えば、支援員と話す場所について、2人きりで話すことに抵抗があるため、「知らない人がたくさんいるオープンスペースが良い」という意見もあれば、「誰にも聴かれないところで個別に話したい」という意見もある。子どもの声を一人ひとりその都度聴かせてもらうことの意味はこの点にもある。
子どもの権利がはじめて国際的に承認されたのが、ちょうど今から100年前(註2)。
「子ども期」にある尊厳をもった個人の人権をどのように保障していくべきか。
100年の積み重ねの上に立って、社会の中で引き続き考えていく。
人権啓発を担う立場として、また、1人の大人として。
できれば、子どもと大人と一緒に。
(註1)子ども家庭庁『意見表明等支援員の養成のためのガイドライン』(令和5年12月)p.5より。
(註2)1924年9月26日、「児童の権利に関する宣言(ジュネーブ宣言)」が、国際連合の前身である国際連盟の第5回総会で採択された。この宣言は、1959年11月20日、中身を拡張させた形で、国際連合の総会で再び採択された。