じんけん放話21:日本被団協 ノーベル平和賞の受賞に思う
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞し、今月10日に、ノルウェーのオスロでの授賞式でメダルと賞状が授与されました。
被団協は60年以上にわたって、核兵器の廃絶、原爆被害の国家補償の要求、被爆の実相の国内外への普及講演活動等、核兵器のない世界を求めて活動してきました。広島や長崎で被爆されたその経験や思いを伝え続けているみなさんに心から敬意を表します。
私の父は広島で被爆しました。父の右手の人差し指は第一関節から直角に折れ曲がっており、幼な心に「変な指だな」と思っていました。原爆の爆風に吹き飛ばされ壁に激突したことが原因です。
父はその指を私に触らせながら、時々ピカドンの話をしていました。「ピカッ」と光り、「ドン」と響き渡ったあとに即気絶したこと、しばらくして意識を取り戻すと身体に突き刺さった窓ガラスの破片で血まみれだったこと、髪の毛がごっそり抜け落ち嗚咽を漏らしながら亡くなっていった友人のこと、17人いた仲間のうち生き残ったのは2人だけだったこと等です。子ども心にピカドンとは「何と残酷な兵器か」と怖さだけが記憶に残っています。
今、原爆被害者の会で活動する中、様々な体験をされた方のお話を聞いたり、手記を読んだりする機会があります。広島の原爆で、その年のうちに亡くなった人は約14万人と言われていますが、生き残った人の中にも辛い体験をした人は少なくありません。数年後に白血病を発症して亡くなった人、身体に大きなケロイドの跡が残りいじめを受けてきた人、「放射能がうつる」と言われ結婚を諦めた人、母親の胎内で被爆し生まれてきた人など、様々です。
この核兵器を無くそうと、今、世界が手をつなぎ始めています。2021年には多くの国の賛同を得て核兵器禁止条約が発効しました。その一方で、核兵器を他国への脅しに使う国も存在し、その緊張度は増しています。
[お互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることがわかっていても、協力しない者が利益を得ることができる状況では、協力しない者がでてくる。] という、いわゆる「囚人のジレンマ」にも似た状況に陥っているのではないでしょうか。
現在、世界には約12,500発の核弾頭が配備されています。人類が世に生み出した核兵器を廃絶することはそう簡単なことではありません。それでも、実体験を持つ被爆者やそれを受け継ぐ人たちが、被爆の実相を語り訴え続けることは、人類にとっての「よい結果」へと歩みを進めていることと確信しています。
「諦めたらそこで終わり」。そんな気がしてなりません。