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じんけん放話29:地震発生 - つながらなかった「あの日」を思い出す

 1月6日、山陰地方で最大震度5強を観測する地震が発生、当センターの所在地である鳥取市も震度3を観測した。

 職場にけたたましく鳴り響くスマホの音。何事かと画面を見ると「緊急地震速報」の文字。「え?」と思ったその直後、強い揺れでようやく地震だと理解した。咄嗟の判断や行動が身についていないことを思い知らされる。揺れが収まると、すぐにインターネットで情報収集を開始。SNSで家族と島根の友人にメッセージを送って互いの無事を確認し合い、大阪の友人から届いたメッセージにもすぐに無事だと返信した。

 遡ること31年前の1月17日。私は進学先の京都で一人暮らしをしていた。午前5時45分。ふと目が覚め、お手洗いに行こうとしたその時だった。5時46分。経験したことのない激しい揺れに襲われ、ベッドから立ち上がることができなくなった。震度5だった。アパートが倒れるのではないかと怯えたが、歯ブラシを立てていたコップが落ちただけで済んだ。揺れが収まり窓から外を見ると、まだ暗い街は何事もなかったかのように静かだった。大丈夫そうだなと、しばらくはドキドキしていたが、そのうち眠りについた。

 二度寝から目覚めて神戸の惨状を知った。テレビに映し出される光景に愕然とし、すぐさま神戸の大学に進学した同郷の親友に電話をかけた。でもつながらない。何度かけても何度かけてもつながらない。当時、携帯電話はあまり普及しておらず、当然SNSもない。連絡手段の主流は固定電話や公衆電話だった。不安が募る中、電話のベルが鳴った。地元の親友からだった。「やっとつながった」。半泣きの友は、私と神戸の友に何度も何度も電話をかけていたそうだ。その後、家族とも電話がつながり無事を伝えることができた。

 しばらくして神戸の友から電話がかかってきた。「やっとつながった」。あまりの恐怖に、物が散乱した部屋で動けなくなっていた友は、誰とも電話がつながらず不安に押しつぶされそうになっていた。ケガはないか、外の様子はどうか、家族とは連絡がついたか、何度電話してもつながらなくて心配した、避難所に行った方がいい、気をつけて、そんなことを話したと思う。

 あれから31年の歳月が流れ、インターネットやSNSを得た私たちは、つながりやすく、情報を得やすい社会を生きている。災害時には早く情報が欲しい。大切な人が無事かどうかすぐに確認したい。その願いをインターネットやSNSが叶えてくれる。

 一方、多くの人がご存知の通り、インターネットやSNSには誤情報や偽情報、真偽不明情報が溢れている。1月6日の地震でも生成AI技術で作成されたと思われるフェイク動画(例:地震によって鳥取砂丘が地割れしている)が複数確認された。

 インターネットやSNSは、使い方によっては、人々の不安を増大させ、嫌な「笑い」を生み出し、分断や対立を煽る“優れた”道具にもなる。災害時、不安の中にいる人々を嘲るような行為は、道具が勝手にするのではない。それを使う人間がすることだ。今や、なくてはならない道具だからこそ、それを使う私たちの人権感覚、人権意識を高めたい。

 

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