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じんけん放話8「少年達への性暴力被害に思う」

 故ジャニー喜多川氏による少年達への性暴力が世間の関心を集めています。外国メディアの報道を受け、日本のメディアでもようやくこの事件を取り上げるようになりました。被害に遭われた方々も次々と名乗りをあげ、その結果、元ジャニーズ事務所は、これらの性暴力が行われてきたことを認めました。
 何故、この事件がこれほどまでの長期間、また、多数の被害者を出し続けても事件として公にならなかったのかが問われています。元ジャニーズ事務所内の絶対的権力構造の中で口封じが行われ、また、事務所内ばかりでなく、仕事上のパートナーであるメディア側が忖度を続け「ないこと」として扱ってきた等とする検証結果も出されています。本来なら社会正義を追求する立場にあるメディアには大いに反省を促したいものです。

 この事件が世間の注目から逸れ続けてきたことには、もう一つ大きな理由があるように思います。それは、被害者が未成熟な子ども達であったこと、そして、特に男性であったということです。被害者である少年達は、自分の身に起こった現実が受け止め切れず、自分の中にモヤモヤを抱えたまま誰にも相談できずにいたことでしょう。仮に勇気を出して告発したとしても、信じてもらえなかったり、からかわれたり、茶化されたりと真剣に取り合ってもらえず、被害者は無力感、絶望感を味わっていたのではないでしょうか。このように男性の性暴力被害が抱える問題の一つに、社会の中での偏見の目があります。これに晒されることを恐れ、押し黙ってしまうという構造が見て取れます。このことによって男性への性暴力被害の実体はつかめず、可視化することは困難です。実際に「どれくらいの被害件数があるのか?」「どんな状況で被害に遭うのか?」「被害に遭ったあとどうしているのか?」等についてさえ把握されているとは言えません。今回の性暴力被害がそうであったように、事件化されることなく闇に葬られたものも相当あるのではないでしょうか。

 「自分に見えないこと」や「理解できないこと」を見聞きすると、人々は戸惑い動揺します(認知的不協和)。この精神的不安定な状態を解消するため、自分自身が持っている常識的な考えと一致させるよう私たちの意識は働きます。「少年達(男性)が性被害に遭うなんてそんなはずはない」とのバイアスや人々の固定観念が、この問題には大きく影響しているのではないでしょうか。
性暴力被害について、少年達ばかりでなく、誰もが安心して相談でき、社会全体で真摯に受け止められる偏見のない社会環境を整えていく必要があります。

                              *メルマガ第204号<令和5年11月22日配信>より

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