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じんけん放話11「子どもの懲戒」

2022(令和4)年12月に民法等の一部が改正され、親権者や児童相談所など児童福祉施設の長に認められていた子どもに対する懲戒権が削除された。懲戒権は、親などがしつけと称して子どもを虐待する口実となっていることが長年問題視されていた。

さらにこの改正では、親などが子どもを監護・教育する際に、「子どもの人格を尊重すること」「子どもの年齢及び発達の程度に配慮すること」「体罰その他の子どもの心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動を禁止すること」が明記され、親権者がもつ監護・教育の権利と義務は、ひたすら「子どもの利益のため」にあることが強調された形だ。

この改正で、子どもに対する懲戒は法律から全て消えたかというとそうではない。学校教育法の第11条には、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」とあり、学校教育法施行規則第26条には、「校長及び教員が児童等に懲戒を加えるにあたっては、児童等の心身の発達に応ずる等教育上必要な配慮をしなければならない」とある。

学校が持つ懲戒として、ひとつには退学、停学及び訓告といった懲戒があるが、児童生徒の教育を受ける権利に関わることから、義務教育における停学と公立義務教育学校の退学の処分は認められていない。そしてもうひとつには、教育上の必要があるときに、校長や教員が児童生徒を叱責する行為としての懲戒がある。注意、叱責、居残り、別室指導、起立、宿題、清掃、学校当番の割当て、文書指導などの体罰に当たらないものが例として挙げられる。 親や教育者が子どもに対して体罰を行わないのは当然として、体罰ではなくとも子どもに有害な影響を及ぼす言動はいくらでもある。子どもに強烈な劣等感や無力感、孤立感を植え付け、そこからの回復に長苦労するような行為を、「子どもの利益のため」と思ってやってしまう可能性もある。では、教育上必要な叱責か否かは何を持って判断すればよいのか?

その答のひとつは、子どもがその行為をどう受け止めるかにあるだろう。大人の意図がどうであれ、子どもの側がその行為を「自分を嫌って、疎んじて、見下して、悪意でされた」と受け止めれば、子どもの益にはならない。特に、懲戒のような子どもにストレスを与える行為が教育となり得るには、それによって子どもに生じる不安を相殺できるだけの信頼関係が大人との間になければならない。自分に対する揺るがぬ愛情を確信し、安心していてこそ、子どもは必要なことを学び取ることができると思うが、いかがだろうか?

                             *メルマガ第207号〈令和6年2月28日配信〉より

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