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じんけん放話12「人権啓発関係者とバイアス」

 年度末です。今年度も、県内各地から当センターに人権研修の講師依頼をいただきましたが、特に依頼の多かった研修テーマが、「バイアスと人権」です。

 バイアス(認知の歪みや偏り、無意識の偏見)は、1人ひとりの意識に問いかける身近な話題です。今年度は、そうした個人のバイアスに影響を与える社会的な背景(構造的な問題)に言及したり、バイアスを考えることが人権を考えることとどのようにつながるのかと、まさに「バイアスと人権」を正面から取り上げた話題を設けたりしました。研修を重ねながら、バイアスの視点から人権を考える研修としての質を高めていくよう努めた1年でした。

 さて、講師として人権研修の実践を積み重ねるほど、バイアス研究に関わる次のような指摘は他人事ではありません。

「バイアスに詳しくなるほど、自分の中にあるバイアスに気づきにくくなる。」

 人権研修に関わり、私自身、次のようなバイアスに囚われていなかったか自問するところです。

●自分が知っていることほど、それを知らない人の立場になって考えることが難しくなる。
 例)「尊厳」「差別」「マジョリティ」など、人権啓発の場でよく使われる言葉については「あえて説明しなくて
   も良いだろう」と思い込み、特段説明なく進める。

●自分の中の固定観念に気づきにくい。
 例)「性別によらず、1人ひとりの『その人らしさ』を大切にしよう」というメッセージを伝えるスライド画面
   に、世間でイメージされる「男性像」「女性像」をことさら強調したイラストを掲載する。

●研修内容に対する否定的意見を素直に認めづらい。
 例)自己評価が高い研修ほど、一部の参加者から否定的な意見が挙がると、「研修時間が短くて十分に説明できな
   かったからしょうがない」と、原因を自分以外のところに求めたり、「否定的な意見は全体の一部だから」
   と、その意見を過小評価したりする。

 参加者は講師をよく見ています。参加者の理解度や認識度に無配慮なまま進行する講師や、自分の非と向き合おうとしない講師の研修にどれほどの納得や共感・信頼が得られるでしょうか。講師としては、自分の認識や信念を改め、さらに工夫と努力を重ねていきたいものですが、上述したように、自分のバイアスには気づきにくいものです。

 だとすれば、それに気づかせてくれるのは、参加者の皆様からの言葉です。講師として、参加者の言葉を真摯に受け止めようとする姿勢こそが、バイアスを克服するシンプル且つ最善の方法と言えます。このことは、研修講師に限らず、他者に向けて教育・啓発等を行う立場にある方、全てに共通して言えることかもしれません。

 今後も参加者からいただくアンケートやその都度のやりとりを大切にしながら、人権啓発の取り組みを進めていきたいと思いますので、来年度もどうぞ宜しくお願いいたします。

                             *メルマガ第208号〈令和6年3月27日配信〉より 

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