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R6ふらっとカフェ自主開催の実施報告⑥

      

実施日   :令和6年11月27日(2時間)
場 所   :ふらっと交流スペース
対話のテーマ:「イジってもOK」はどこまでOKか?

参加者数  :9人
       

 

 「イジリ」は、日頃の対人関係やメディア等を通じて、多くの人が経験又は見聞きしている行為かと思います。

 今回のふらっとカフェでは、今までどのようなイジリを見聞き・経験したか共有するところから始まりました。容姿イジリや年齢イジリ、出身県イジリ、運動や勉強、書き文字、社会的属性など、その人の特性に関わるイジリなどについて語られました。

 その後、どのようなイジリなら許容できるかという話題に移りました。イジリの中身よりも、そのときの状況等によって判断が分かれるという意見から、いくつかの判断要素が出されました。

(許容できるかどうかの判断要素)
・イジるイジられる側の関係性(信頼関係など)
・そのときの場面、状況(イジられる側にとって、イジられると困る場面ではNG)
・イジる目的(親愛の気持ちを示す、相手を励ます、元気づけるため)
・イジられる側のエネルギーがどのくらいあるか(今、そのイジリを許容できるエネルギーや余裕があるかどうか) →許容できるかどうかはイジられる側が決めるもの。
・第三者の感じ方も考慮する(イジられる側が大丈夫でも、本人のことを大切に思っている他者がそれを見聞きしたらどう思うか など)。


 そもそもイジリという行為の善し悪しに関する意見もありました。「いろいろな条件が整わないと許容できないこと自体が、イジリは基本的に良くないものということを示している」と、「イジリ」は基本的に良くない行為であるとの指摘がある一方、イジリによって救われることもあるなど、「良いイジリもある」という論も出され、異なる観点の意見に、じっくり考え込む参加者の様子が印象的でした。

 そして終盤、参加者がイメージしている「イジリ」には、「イジリ」という言葉で整理することが適切ではないものもありそうだという意見もあり、「特に問題のあるイジリ」と「問題とは感じにくいイジリ」は、それぞれ別の言葉で表現できないか、というところで、時間がきて終了しました。

 進行役を務めた立場としては、今回の対話を踏まえた新たな問いを設定し、この対話の続きができれば良いなと、密かに期待しています。
 ご参加いただいた皆様、愉しくも深い学びのひとときを共有させていただきありがとうございました。
 今年度のふらっとカフェ(自主企画)は、ひとまずこれで終了です。
今後も、参加者とじっくり対話できるこの学習スタイルを大切にしていきたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
 

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