【調査研究:子どもの人権】ヤングケアラーの実態と支援の取り組み
1.ヤングケアラーとは?
近年、「ヤングケアラー」という言葉が注目され、マスコミ報道等でも盛んに取り上げられています。以前から子育て・教育・福祉等の現場では個別の案件ごとに注目されることはありましたが、「ヤングケアラー」との名称をつけ、一つの社会問題として捉えられるようになったのは最近のことです。
今回は、このヤングケアラーの全体像を俯瞰するとともに、人権との関係やそのサポートの取り組みについて記してみたいと思います。
鳥取県子育て・人材局家庭支援課発行のリーフレットには、次のように紹介されています。
『家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケアや責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行い、自らの生活や学業に影響を受けている18歳未満の子ども』 |
具体的な例示もされており、以下の通りです。
上記の例にあるとおり、ケアの内容は様々です。当然のことながら、ケアの対象者、ケアの期間、ケアラーの年齢、家族構成(父母、祖父母、きょうだいの有無)、負担の程度など、一人ひとりの状況や抱えている問題の大きさはそれぞれ異なります。
また、日々行っているケアに対するケアラー自身の思いも千差万別です。自分が犠牲になっていると強く感じている人、辛く苦しい日々を堪え忍んでいる人、ケアをしているという自覚の薄い人、ケアを障がいのあるきょうだいや家族との親密なふれあいだと感じている人、自分にとって必要で意味のあることだと感じている人、また、自分がヤングケアラーと呼ばれることに違和感を持つ人もいます。
現状、当事者含め一般社会の中では、その受け止め方も様々であり、ヤングケアラーを単純にひとくくりにして捉えてしまうと、時にその実態を見誤ってしまうかもしれません。
2. ヤングケアラーの実態調査から
ヤングケアラーの実態をより正確に把握するため、三菱UFJリサーチ&コンサルティングは文部科学省と連携して、教育現場である学校や要保護児童対策地域協議会、全国の中学2年生と高校2年生に対してアンケート調査を行いました。その結果は「ヤングケアラーの実態に関する調査研究」として公表されています(令和3年3月)。
その中からいくつかの質問に対する回答をみていきましょう。
「いる」と回答した人は、上段青色の【中学2年生】では、5.7%、下段橙色の【高校2年生(全日制)】では4.1%です。
「いる」と答えた人のうち、世話をしている家族[ケアの対象者]の内訳(複数回答)を問うたところ、青色の【中学2年生】では父母が23.5%、祖父母が14.7%、きょうだいが61.8%、橙色の【高校2年生(全日制)】では父母が29.6%、祖父母が22.5%、きょうだいが44.3%でした。
【中学2年生】と【高校2年生(全日制)】とを比較すると、ケアの対象者が「父母」や「祖父母」である割合は【高校2年生(全日制)】の方が高く、「きょうだい」である割合は【中学2年生】の方が高くなっています。
「いる」と回答した人に「世話をしているためにやりたいけれどできないこと(複数回答)」をたずねた問いでは、中高生ともに「特にない」の回答が一番多く50%を超えています(中学2年生58.0%/高校2年生(全日))52.1%)。「特にない」と回答したということは、時間的制約があるにしても「やりたいことはそれなりにできている」、もしくは「特に何かを我慢しているということはない」ということでしょう。
一方で「宿題する時間や勉強する時間がとれない(中学2年生16.0%/高校2年生13.0%)」「自分の時間がとれない(中学2年生20.1% / 高校2年生16.6%)」なども一定の数値をあげており、宿題や勉強する時間がとれず困っている人や、子どもたちが成長していく過程で必要とされる自分の時間を確保できていない人も少なくありません。中には、「睡眠が十分に取れない(中学2年生8.5% /高校2年生11.1%)」のように成長期の子ども達の健康に悪い影響を与えかねないケースがあることも見過ごすことができません。
3.ヤングケアラーの抱える苦悩
ヤングケアラーたちが、ケアに時間を取られることで自分にとっての必要な時間を制限されたり、様々な活動ができなかったりする場合があることは上記の実態調査で確認できました。しかし、ケアをすることによって自分の時間が制限されることばかりがヤングケアラーの抱える問題ではありません。これとともに下記の①②③のようなことも彼らの心に重くのしかかっています。
① 理解されない・孤立感を抱く
ケアの対象者は父母・祖父母・きょうだい等様々ですが、特に子どもたちにとって、家庭内でケアをしているという事実を口外したくないという思いは強いものです。
子どもたちは、主に生活の中心を家庭に置き、学校で家族以外の他者である友だちとの交流を通じながら徐々に社会性を身につけていきます。しかし、その途上にある子どもたちの生活や意識の及ぶ範囲は限定的であり、日常や家庭というものについて、まず「自分自身」を基準に思いを巡らせることが多いでしょう。自分の日常や家庭とは異なる環境を想像することは、当事者以外の子どもたちにとって容易なことではありません。「異なる環境」とは、例えば、「学校から帰ってすぐ祖父母の介護をしている」「障がいのあるきょうだいの世話をしている」「毎日、家族の食事の支度をする」「酒やギャンブルに溺れる親の手助けする」等のことです。ヤングケアラー自身が、友だちに自分の日常や家庭の状況を説明し、理解を得ることはかなりハードルが高いと言えます。「介護する」などの言葉を口にするだけで、怪訝な顔をされることもあるでしょう。そのため、時間をかけて自分の置かれている状況を説明するより、不本意であってもごまかしたり、嘘をついたりすることで乗り切ることの方を選んでしまうことがあるのは、容易に想像できます。
また、家庭内・親族・隣近所の大人たちにも理解されない、気持ちを受け止めてもらえない場合など、孤軍奮闘する中で、自分が犠牲になっているという感情に虚しさを覚え、その孤立感は、救いのない絶望的な気持ちになるのではないでしょうか。
②偏見にさらされる
偏見にさらされることもあります。
ヤングケアラーは、ケアが必要な様々な家族とともに暮らしています。例えば、「(きょうだいに)障がいがある」「(祖父母が)認知症である」「(親が)精神病である」「(親が外国人で)易しい漢字も読めない」などです。このような人たちに対して社会の中にはまだまだ根強い偏見が残っています。上記①と関連しますが、特に意識や生活範囲が限定的な子どもたちの世界では、友だちの家族や地域に暮らす多様な人々の存在をしっかりとした人権の視点で捉えることが十分にできるとは言えません。
また、ケアをしていることについて、触れてはいけないタブーのように扱われることも子どもにとっては辛いことです。この理不尽さが生み出すもどかしさは、当事者でなければわかりません。子ども心に相当のジレンマと葛藤を引き起こすのではないでしょうか。
③美談にされる
以前から日本社会においては、子どもが親やきょうだい、家族の面倒を看ることは「美談」として捉えられる風潮がありました。子どもたちを認めてあげるとか、褒めてあげることは、子どもたちにとって喜ばしいことであり、自尊感情も高まるでしょう。しかし、「頑張っているね」「親孝行だね」との声かけがボディブローのようにジワジワと効き、やがて逃れられない相当のプレッシャーとなってヤングケアラーの心に重くのしかかることもあります。そうなると、ヤングケアラー自身はケアすることの限界を感じていたとしても周囲の大人たちや相談機関に助けを求めることを躊躇するようになるかもしれません。許容範囲を超えてケアを続け、取り返しのつかない事態を招くようなことがあってはなりません。
信頼関係を築きながら、子どもを認めていくとともに「実際のところどうなのだろうか?」と、その様子をしっかりと聞き入れ、寄り添う姿勢を取ることも大切ではないでしょうか。そもそも「ヤングケアラー」という言葉が生まれたのは、美談だけでは済まされない現実があるからです。
4.ケアを通して子どもたちが感じていること
ヤングケアラーを別の視点でみてみましょう。
前述のアンケート調査には、次のような問いもありました。
この問いに対して、【中学2年生】では「当てはまる」が1.8%、「あてはまらない」が85%、「わからない」が12.5%となっています。また、【高校2年生(全日制)】では「あてはまる」が2.3%、「当てはまらない」が80.5%、「わからない」が16.3%となっています。中高ともに「当てはまらない」が断然多いのですが、「わからない」も【中学2年生】で12.5%、【高校2年生(全日制)】で16.3%います。この「わからない」の答には複雑な思いが入り交じっているのではないでしようか。
家族のケアをしていてもそれは特に「自分の時間を制限するという類いのものではない」という意識や、「家族をケアすることは自分自身にとっては当たり前のこと、必要なこと」と思いながらケアをしているので、自分自身がヤングケアラーの定義に当てはまるのかどうか、わからない等の思いです。
先に紹介した、「Q.世話をしているためにやりたくてもできないこと」の問いに「特にない」という回答がもっとも多かったこととも関連して考えられることですが、「病気の親を支えること」や「ケアの必要な障がいを持つきょうだいと連れ添って暮らすこと」、また「漢字が読めない親に行政や地域、学校からの通知文を読んであげること」等のケア行為には、負担の程度にもよりますが、「自分のやりたいことを制限している」とか、「やりたいことができない」などの我慢を強いられるような面ばかりが存しているわけではないということです。そこには、お互いに支え合い、助け合う家族の一員としての姿も見て取れます。
今日、ヤングケアラーを「一つの社会問題」として捉え、その置かれている状況を説明しようとすれば、どうしても彼らが経験した困難の部分にスポットを当てて取り上げることが多くなります。それは、様々なサポートや政策を実施していく中で、とても大切なことです。しかし、家族のケアをしている子どもたちの側から見たとき、人や状況によっては、ケアしていることを自分の中できちんと整理できていたり、納得していたり、また、ケアしていることを前向きに捉えていたり等の面も持ち合わせていることも忘れてはいけません。
5.介護の社会化が進む中での現実
ケアに対する負担が大きく辛いと感じるヤングケアラーには手厚いサポートが必要です。また、ケアすることは自分と家族にとって必要なこと、意味のあることとして心の整理ができているヤングケアラーにとっても、適切な時間配分を保てるようなサポートが求められます。
しかし現状は、ヤングケアラーの全体像ばかりでなく個々の案件についても十分に実態をつかみきれているとは言えません。家庭内のことであり、また、ヤングケアラーの「ほんとうの思い」は、胸の内にしまい込まれていることも多く、日常のコミュニケーションだけで現状把握をすることは困難です。
今日、介護保険制度の活用等により介護の社会化が進む一方で、家庭内での介護やケア等を担っていく力は少しずつ低下していると言えるかもしれません。祖父母等の高年齢化や経済的に不安定な家庭の増加、核家族化や一人親世帯の増加、親族や隣近所との繋がりの希薄化等、ここ数十年で急激に変化してきた家族や社会のあり方がヤングケアラーを孤立に導き、その苦悩の度合いを高めているのかもしれません。親自体がケアの対象者で仕事が十分にできないなどの場合、子どもの貧困問題とも密接に関わってくることもしばしばです。また、大家族や親戚、地域の人々が密に繋がり、支え合っていた昭和の時代と同じように考えることはできません。
6.「子どもの人権」とヤングケアラーに対する取り組み
今日、国会や地方議会でもヤングケアラー支援の必要性が取り上げられ、様々な取り組みが行われるようになってきました。
2020年3月には、埼玉県で全国初の「ケアラー支援条例」が成立しました。大阪府では、希望する学校にスクールカウンセラーを派遣し、ヤングケアラーの相談にのるという取り組みも始まっています。
鳥取県でも、介護支援専門員や学校関係者、児童相談所などからなるヤングケアラー対策会議が開かれています。また、ヤングケアラーやその家族の方などに向けた相談窓口も新たに設置されました(鳥取県福祉相談センター、倉吉児童相談所、米子児童相談所)。これらの電話相談窓口のほかに、民間企業と連携して土日も対応するLINE(ライン)相談窓口も設けられています。そこには、次のような内容のLINE(ライン)チャットが送られてきているようです。
〇「障がいのあるきょうだいや認知症の祖父母の介護を母がしている。自分は家事をしていて、
進学はあきらめるしかない」
〇「母の排泄の世話をしている」
〇「祖母の介護疲れで体調を崩し、自宅で過ごしている」
(日本海新聞 令和4年1月31日 参照)
相談窓口の利便性向上のほか、生活困窮者自立支援事業の活用など、親や家族全体の支援等も含めた重層的な取り組みも必要でしょう。
令和4年2月「鳥取県人権施策基本方針」の第4次改定版が発行されましたが、そこには、子どもの人権に関して取り組むべき個別の課題として、新たに「ヤングケアラー」に係わる事柄が明記されています。「ヤングケアラーの実態把握をする。」「子どもに関わる関係者や周囲の方の理解を推進する。」「当事者である子どもやその家族が相談しやすい体制を整える。」「適切な支援につなげる。」などです。
また、地域の人々や友だちによるヤングケアラーやその家族に対する根強い偏見等は、地域や学校での人権学習に取り組むことで解消していかなければなりません。
ヤングケアラーに対する様々な支援の取りみは、まだ始まったばかりです。