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【調査研究:人権啓発関係者とバイアス】人権を難しくさせるのは?―研修講師がもつ(!?)「知識の呪縛」から探る―

1 「人権は難しい」の意味するところ 

 人権を学ぶことは難しいですか。
 学校や職場、行政等が開催する人権研修会。参加者の中には、一定の割合で「話が難しい」と感じる人がいます。
 平成26年に鳥取県が行った人権意識調査では、過去5年間に人権に関する講演会や研修会、地域の学習会等に参加した感想として、「話が難しかったり、極端であったりして、理解しにくかった」と回答した方は6.3%いました(研修参加が5回未満の方に限ると7.4%)。なお、最新の人権意識調査(令和2年)に、研修の感想を問う設問はありませんが、代わりに、講演会や研修会以外で、人権問題の啓発に役立った媒体(広報誌、冊子・パンフレット、テレビ・ラジオ等)は何かを問う設問があります。この中で、「どれもない」と回答した人(28.1%で選択肢中最多)にその理由を問うと、「難しくてよくわからない」と回答した人は8.1%いました。割合としては決して高くありませんが、日頃、人権啓発に携わる者としては、この「難しい」という意見に、数値以上の問題意識をもっているところです。
 では、何が難しいのでしょうか。ここで言われる「難しい」は、大きく2つあるように思います。人権研修や講演会、学習会(以下、人権研修)を例にお伝えします。




2  「参加者の分からなさに気づいていない」―背景にある「知識の呪縛」(バイアス)の影響―

 バイアスとは、人間がもっている認知の歪みと言われます。認知の対象となるのは、具体的に目に見える ものだけでなく、目には見えない抽象的な事柄(情報選択、現状認識、事象が起こる確率に対する判断推理、他者の性格や能力、印象に関すること、自分自身のこと 等)も含まれます。そして、これらの認知が歪んで  いると、物事の判断や意思決定等にも影響していきます(註1)。

 前述の講師が参加者の分からなさに気づいていない状況には、以下に紹介する「知識の呪縛(curse of knowledge)」と言われるバイアスが影響しているかもしれません。

(1)「知識の呪縛」とは

 私たちは、その時々の必要性や興味関心にしたがって、様々な知識やスキルを身につけていきます。例えば、新しく人権啓発の仕事に携わるようになった人が、対象者に適切な啓発が行えるよう、人権概念や人権問題に関する知識を身につけていくように。こうした知識やスキルを身につけていく過程で、1つだけ失ってしまうものがあると言われています。それは、「その分野のことを知らなかった(知識がなかった)ときの感覚や感じ方」です。

 自分が知っていることほど、それを知らない人の立場になって考えることが難しくなる現象のことを「知識の呪縛」と言います(註2)。講師が「知識の呪縛」の影響を受けると、研修を進める中で次のような状況を 引き起こす可能性が考えられます。

 

(2)「知識の呪縛」による影響例

 例1)参加者の「言葉の分からなさ」に気づけない
 突然ですが、あなたは次の言葉がそれぞれどのような意味かご存じですか。

 私見ですが、上記の言葉は、人権啓発の分野でよく語られる言葉の一部と考えます。おそらく、日頃から 人権について学んでいる人にとっては、特に説明を尽くさずとも理解しているものとして受け取られる言葉ではないでしょうか。

 そのためか、講師の中には、人権についてあまり学んでいない参加者がいる研修でも、上記の言葉の意味をあまり説明しないことがあります(上記の言葉をメインにおいた研修でない限り)。また、仮に説明したとしても、「ジェンダーとは、社会的、文化的に作られた性差のことです」等と、短文の中に複数のクエスチョンがつくような説明で済ます様子も見受けられます。私もそうした経験があります。

 そうすると、人権に関する学びの経験が少ない参加者にとっては、研修の理解の前提となる用語の意味や話自体が分からず、置いてきぼりになっているかもしれません。実際、過去、研修後にいただいたアンケートの感想には、「全体的に分からない言葉や説明が多くてついていけなかった。」「カタカナ文字が続くと分からなくなる。」といった言葉をいただくことがありました。

 仮に「分からない」ことが一部分であれば、参加者は話の前後から理解することもできるし、後で調べて みることも、講師に直接質問をしてみることもできます。ただ、研修全体に「分からなさ」や「ついていけなさ」を感じると、よほどの学ぶ動機がない限り、講師に質問しようとする気持ちも後で調べてみようという気持ちも起きません。「分からない」経験を重ねると、人権を学ぶことへの意欲は高まりにくいでしょう。

 例2)参加者の「理解の難しさ」に気づけない
 以前、立て続けに3回、参加者の異なる研修会で講師を務めたことがありました。それぞれのテーマは、「ジェンダー平等と人権」「ハラスメントと人権」「バイアスと人権」です。すると、研修後にいただいた参加者アンケートの中に、次のような趣旨の言葉を共通していただきました。

「『ジェンダー/ハラスメント/バイアス』については理解できたが、人権のお話をあまりされなかった
 のが残念。人権との関連が知りたかった。」

 指摘にあるように、確かに私は、各研修で「人権とはこういうものです」とか「ジェンダー問題と人権はこのように関連しています」と、はっきり説明しませんでした。それは、「この話題を伝えれば、人権や人権問題とジェンダーの関連に気づいてもらえるはず」「あえて人権という言葉を使わなくても関連性は伝わるはず」と思っていたからです。そう思い込んでいたのは、人権について「よく知っている」自分の理解度を基準にしていたからで、この関連性に気づけるほど人権を理解している参加者ばかりではないという意識が抜け落ちていたのです。

 以上、知識の呪縛が講師に与える影響として2つの例を紹介しました。他にも、「知識を有する」講師が自分を基準にして研修を進めると、次のような状況が生まれ、人権に関する学びの経験が少ない参加者にとって理解しづらい内容になるのかもしれません。

●研修時間に対して理解が追いつかないほどの情報量。

●理解が追いつかないほどの話すスピード。

●「人権用語」以外の難しい用語や言い回しの多用。
  例)「人権侵害を惹起(じゃっき)する」「人権意識の涵養(かんよう)をめざす」「人権尊重社会の隘
     路(あいろ)となる蓋然性(がいぜんせい) が高い」「差別の深刻さについて考えられる効果的
     なメタファーだ」 

 元々は、質の高い研修ができるよう、人権に関する知識を身につけてきたはずが、人権を深く理解するにつれ、逆に参加者の分からなさが分からなくなり、結果、参加者にとって理解しづらい研修内容になってしまう。何とも皮肉で笑えない話です。

 人権に関する知識を多く身につけることと質の高い人権啓発を行うことは必ずしもイコールではないことを再認識するところです。


   

3  「知識の呪縛」(バイアス)に陥らないためにできる工夫

 知識の呪縛に陥らないためにどのような工夫ができるでしょうか。ただ漠然と、「日頃から誰にでも分かる易しい内容を心がける」という話ではありません。

 まずは、各々の分野について知識やスキルを身につけることで、このような認知の歪み(バイアス)が生じる可能性があると認識することです。バイアスという存在を認識することで、自分の知っている(当たり前に思える)ことが、他者にも同じように当てはまるとは限らないと意識できるようになり、ひいては、自身の伝える内容や伝え方等を客観的に捉えることにつながります。

 とはいえ、前述したように、「知識の呪縛」が生じると、知識を持つ側は、「そもそも相手がなぜ分からないのかが分からない」状態に陥ります。とすると、講師だけで研修の内容や進め方を考えていては問題を防ぎ きれません。そこで、講師が他者の協力を得ながら参加者の知識や理解度等を知る工夫が必要になります。以下、研修の企画・実施・事後の各段階においてチェックしておきたい点を思いつくまま列挙します。

 


 ここで挙げた内容は、何も特別なことでなく、多かれ少なかれ講師や研修担当者(主催者)が既に取り 組んでいることや必要だと意識していることだと思います。つまり、これまで取り組んできたこと、必要だと意識していることを、改めて丁寧にやってみることが重要なのです。ただ、同時にこのことは、1回の研修により多くの時間や労力を費やすことでもあり、必要性を感じていても現実には十分取り組めていない講師や研修担当者(主催者)もいると思われます。このジレンマを克服していくためには、特に講師が組織に所属している場合、組織の事業体制にまで踏み込んだ議論が必要になってくるでしょう。

 最後に、今回は研修のみを取り上げましたが、各種の人権啓発物や広報物、案内チラシ等を作成する際にも、私たちは知識の呪縛に陥ってはいないでしょうか。ともに点検してみませんか。

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註1:人の認知に関する本論の説明は、以下の書籍を参考にした。
   ・藤田政博『バイアスとは何か』株式会社筑摩書房(2021年)pp.16-19

註2:「知識の呪い」に関する実験として、エリザベスニュートンが行った「タッパー・リスナー実験 
   (1990年)」が有名。
 【参考】情報文化研究所『情報を正しく選択するための認知バイアス事典」フォレスト出版株式会社
(2021年)pp.255-256

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